千田百子の作品は、木綿布と藍染がほとんどです。
藍染は日本では伝統的な染色技術です。江戸時代には庶民の衣類にまで広がりました。
明治の日本で暮らしたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、
「青い屋根小さな家屋、青いのれんのかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。見渡すかぎり幟(のぼり)が翻り、濃紺ののれんが揺れている。
着物の多数を占める濃紺色は、のれんにも同じように幅を利かせている。」
と書き記しました。
日本の藍は、タデ科の「タデ藍」が主原料です。春に種を蒔き、夏に刈り取って、すぐに2㎝ぐらいに切り大型扇風機で乾燥させます。これを俵に詰めて保管します。
秋にになると、土間などに作った「寝床」に移し、水遣りと天地返しを繰り返しながら発酵させ、藍の染料「すくも(蒅)」が出来上がります。発酵には約10カ月かあります。
「すくも」は、さらに発酵の栄養となる麩(フスマ)や、石灰、灰汁、酒などに混ぜ込み、甕に入れて土中で温度管理しながら発酵させます。1週間ほどで染め液が完成します。これでやっと布を染める準備ができます。
明治時代には国鉄や郵便局の制服に藍染めの布が採用されるなど、徳島を中心に藍染産業は隆盛を極めました。しかし大正期には、ヨーロッパで化学的に藍の染料が合成できるようになり、国産の藍は、生産量が激減しました。
しかし社会が豊かになり人々の好みが多様になった現在では、伝統的な藍染の技術の良さが見直され、いろいろな製品が開発されどんどん普及しています。
現在ほぼ100%が徳島で製造され、「すくも」をつくる職人を藍師と呼びます。「すくも」から染め液をつくる職人を染師と呼びます。
藍は日本だけでなく、昔から世界で使われています。確認された世界最古の藍染の綿布は、ペルーのワカプリエタ遺跡から2016年に出土した約6千年前のものです。
藍色の色素を持つ植物は世界で数種類あります。日本では主にタデアイ(蓼藍)、沖縄では琉球藍とよばれるキツネノマゴ科の多年草、ヨーロッパや中国の藍はアブラナ科の二年草・大青(ウォード)です。
9世紀後半になると、インディゴはドイツのノーベル賞化学者フォン・バイヤーによって合成法が確立し、工業生産されるようになりました。
ドイツBASF社は、早くも1898年(明治31年)に日本への輸出を始めています。合成インディゴは,天然インディゴと全く同じ物質であり,純度が高く安定供給ができたのです。
現在では合成インディゴが、藍染の着物からジーンズまで広汎に使われています。しかし、昔ながらの「すくも」を作っての藍染めは、その美しさや風合いが見直され、伝統を愛する人々に支持されています。
藍白 あいじろ |
瓶覗 かめのぞき |
水縹 みはなだ |
水浅葱 みずあさぎ |
浅縹 あさはなだ |
浅葱 あさぎ |
薄縹 うすはなだ |
花浅葱 はなあさぎ |
納戸 なんど |
縹 はなだ |
藍 あい |
熨斗目 のしめ |
深縹 こきはなだ |
紺藍 こんあい |
藍鐵 あいてつ |
搗 かち |